中国の老人ホームを見学してみたが、とてもじゃないが日本では受け入れがたい設計です。お金の問題がないからではありません。億単位の預金を持っている富裕層の中国の老人が満足する老人ホームは、日本の年金生活者が入居するそれと違うのです。
25年も日本に暮した私から見た場合、日本の年金生活者の老人ホームの方が快適です。中国で老人ホームを経営したい日本の不動産関係の友人も進出のチャンスだと思って検討を重ねています。
しかし、何かが違うのです。質が良いと思っていたサービスを中国の老人達に提案してみたところ、意外とどうでもいいと考えてしまうのです。たとえば二人部屋への感覚ですが、なぜか抵抗が少ないのです。と言うより二人部屋の方が良いと考えているふしさえあります。少なくともコストを倍(1人部屋)にしても倍の満足は絶対得られません。
Googleのサービスは百度より断然にいいと私は思います。しかし、中国ではGoogleはシェアを取れません。それがGoogle が撤退した理由の一つにもなっていますが、完全に消費者の嗜好の問題です。これは発展途上国と先進国の違いとも言えますが、消費者が違うのです。
多くの経営者と経済学者が収入レベルで経済と消費を計るのです。数十年単位ではそれが正しいかもしれませんが、ビジネスのサイクルにはとても実戦的ではありません。中国に日本人口以上の富裕層が居るのは事実ですが、消費力があっても具体的なマーケティングとなれば話がまったく異なるのです。
最近よく思うのですが、「消費者が企業を育てる」という言い方は本質を間違えているような気がします。地元の企業が地元の消費者と同じ低いレベルから共に成長する場合、「消費者が企業を育てる」ように見えますが、これはあくまでも土着企業の論理です。複雑な消費層と消費パターンが混在する未知の市場(しかし、これこそ真の市場)においては、消費者が企業を育てるのではなく、企業が消費者に適応するのです。
企業は合理化の固まりです。1円のコストに1円以上の収入が無いとやっていけないのです。ということは品質を消費者に決めてもらうしかありません。1円のコストをかけた品質が消費者から 0.1円の価値しかないと思われるとその企業は大損を抱える訳です。
「1円のコストに1円以上の品質」を感じてもらえるかどうかは結局、適応能力であり、成長力ではないのです。だから「育てられる」のではなく、適応するのです。企業と消費者が同じ場所と同じ発展段階を共有できるのはむしろ特殊なケースであり、普遍的ではないのです。
戻って日本の高度成長を考察してみると、あれは地元の企業が消費者の成長に適応(順応)するプロセスであり、育てられるプロセスではないのです。感謝の気持ちの表現として構いませんが、それが本質だと考えたら発展途上国でのビジネスが展開できないのです。
数学などの自然科学を観察してみれば分かるのですが、狭い範疇内で得られる結論の多くは真ではないのです。それをそのまま広い範疇に適応させると必ず間違いを犯すのです。
より広い市場、より複雑な市場に適応できるようにこれまでのビジネスの常識から本質を抽出してこそ、これまでの経験が無駄になりません。そのままの適応は完敗を意味します。顧客が企業を育てるのではなく、顧客に適応する企業が育つのです。
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